ライナーのブラームス交響曲第2番

私の大好きな名盤・その13

ブラームスの交響曲第2番
指揮:フリッツ・ライナー、演奏:ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、録音:1960年12月(ライヴ)

この曲は十数種類のLP・CDを買い続けても名盤に辿り着けず、理想の出会いに至るまで困難を極めた曲だ。大好きな曲と思い始めてから50年を経て、フリッツ・ライナーというなじみがなかった指揮者に出会えて、喜びひとしおである。
ただし、音は悪い。特に弦の高音はかなり聴き辛い。もうひとつ、異様なほど大きな咳ばらいが聞こえる。当時のカーネギーホールの客はなんて行儀が悪いんだろう。しかしそんな下世話な懊悩はヴァイオリンが奏でる第1主題が始まるころには霧散していく。憧憬に満ちた音の森深くへといつの間にか いざなわれているのだ。
主題の受け渡しのやわらかいこと。夢見るようなメロディラインにうっとりと聞き惚れる。こわもてのライナーさんは、ブラームスの歌心に心底惚れてしまって、その赤裸々な心情をはぐらかすために、あんな気難しいお顔なのではないかと思ってしまう。「スコットランド」のクレンペラーさんしかり、ショパンを弾くフランソワさんもそうではないか。そしらぬお顔をして演奏しているのだ、きっと。紡ぎだされる笑顔の旋律は内省的であり、天真爛漫とは隔たりのあるはにかみを含んだデリカシーの吐露なのだ。

概して演奏時間は短いのだが決してせっかちには聴こえない。たとえば第1楽章の再現部が始まる手前でテンポを緩めて第2主題を始めるあたりとか、終結部でゆったりと回想するような風情を醸し出すところなど、この演奏に接したならば他のが大人の心の襞とは無縁な未熟者のように聞こえてしまう。

基本的には確然とした骨太の引き締まった演奏だ。だからテンポの揺れが際立って効果的なのだ。時々顔を出すオーボエの “これぞオーボエ” と抱きしめたくなる魅惑的な音色とか第1楽章の終わり近くのホルンなど、管楽器奏者の歌心に陶然と聴き入ってしまう。

弦を中心にした第2楽章。音色の変化が乏しいので、単調退屈に聴こえがちな他の演奏とは異なり、各々の旋律の違いを明確にした見通しの良い演奏だ。

第3楽章のオーボエの見事なこと。他の演奏なら平板な印象しかないのに、この繊細な奏法に接すると、曲全体の魅力がひと回り深まること請け合いだ。

2分の2拍子のフィナーレはライナーさんお得意の引き締まった演奏で一気に駆け抜ける。とは言っても第2主題に入るときにはちゃんとリズムを緩めて心から歌うのだ。その緩急は感情の摂理に基づいてるから全く自然体なのだ。元に戻って再びリズムがよく弾み、豪快に大団円へと突き進む。気持ち良さったらこの上ない。ただ、最後の 2回8分音符が上下に連続して2分休符する4小節の1回目の方が、2音ほど端折って聴こえるのに戸惑いを感じたが、ライナーさんのこと、強い意思のもとで演奏しているのだろう。何度か聴くうちに違和感がなくなってしまったのは偏愛によるものか。

白熱のライヴの真骨頂を味わうことができる貴重な音源だ。ただし曲が終わっていない時から拍手が始まっているように聞こえる。当時の客の無粋さを思うと、ライナーさんが本当に気の毒だ。

終わりに、クリスチャン・メルラン著「偉大なる指揮者たち」による、ライナーさん論評を付記しておく。
“権威あるオーケストラへの客演に忙しい同胞たちを尻目に、ただ3つのオーケストラに仕事を絞り、それぞれに劇的な変身を遂げさせた。シンシナティ交響楽団、ピッツバーク交響楽団、シカゴ交響楽団。各楽団に10年ずつ在籍し、難破しかけている軍艦を大型兵器に変えてしまった。オーケストラ史上まぎれもなく最高の指導者と呼ばれるゆえんである”

 

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