ケンぺの「運命」

私の大好きな名盤・その4

ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」
指揮:ルドルフ・ケンぺ、演奏:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、録音:1971年12月

中学生の頃、兄所有のオーマンディ指揮のLPを聴いていたが、熱くたぎるものが乏しい気がしていて、高校生になってEPドーナッツ盤のセルが指揮したのを買った。緊迫感にたけていてある程度満足してはいたが第4楽章の曲の運び方や音の鳴らし方に少々疑問を感じていた。次に買ったベーム盤にも満足は得られなかった。
“クラシック音楽と言えばジャジャジャジャ~ン”という通俗曲的な側面に惑わされて、大好きだったにもかかわらず遠ざけていた時期があったように思う。

CDにとってかわってからは こだわりが薄れてカルロス・クライバー盤、エーリッヒ・クライバー盤、ラトル盤、カイルベルト盤、ジュリーニ盤と次々に手元に置いた。この中には音楽誌で決定版扱いしているものがあるけれど、私はそうは思わない。そういう傾向の演奏は冒頭の主題から凄まじい緊迫感で始まり 一息ついたところで奏されるホルンも度肝を抜く咆哮のようだ。速いテンポで畳み掛ける演奏が8分近く続くと、あたかも見境がなくなってわめき散らしている人を連想してしまう。

ケンぺさんの演奏では提示部のホルンが展開部へのつなぎ部分で奏される少し音型を変えたホルンと呼応していて、音型を変えたホルンが非常に印象的に聴こえる実に絶妙な仕掛けの伏線となっているのだ。提示部でのホルンが再現部ではファゴットにとってかわって奏されることがずっと疑問だった。ファゴットはいくら頑張っても張り裂けるような表現はできない。ケンぺさんの演奏を聴いてやっと曲の筋立てに納得したのだ。響きの違うファゴットに替えることで そのあとに続くダイナミズムは一層際立ち、最後の頂点をなすジャジャジャジャ~ンに向かって疾走するのだ。

第2楽章の個々の管楽器の美しい響きはケンぺさんがオーボエ奏者だったことと深くかかわっているように思う。
第3楽章のホルンの主旋律も楽章全体を見据えた捉え方をしているから、最初にパンチを食らわせて威圧で勝負しようというような奏法ではない。三部形式のA-B-AのひとつめのAの終盤に向けて力感をみなぎらせていく演奏だ。

第4楽章の最初の三音にも同じ考えが聴き取れる。わめき散らし演奏では三音を目いっぱいテヌートにして大音量で奏する。そうすると後の息が続かないのだ。弛緩が生じる。ほかの演奏ではこの弛緩が気になって「運命」の曲そのもののつくりに疑問符を抱いていたのだが、ケンぺさんの演奏ですっきりと解決した。全く弛緩を感じない演奏だ。内声部で細かい音符の管楽器群を躍動させている。第4楽章の提示部を繰り返すスタイルなど論外だ。古典音楽はこうあらねばならないと頑固に思い込んでる人の解釈ということだろう。

第3楽章から第4楽章へ続く かつて幼いシューマンがお母さんに「怖いよ」と言ったフレーズが第4楽章再現部の前に立ち現れるが、喜ばしいメロディーがひとしきりあった後なんでまた元に戻るの?という疑問を持っていたけれど、ここもケンぺさんは名答で応じてくれた。旋律は同じだが今度は健康的な明るさで再現部への導入として演奏しているのだ。そして圧巻は同じ音が6音続く打撃音のあとのピッコロの上昇音を合図に始まる歓喜の大団円だ。曲全体の頂点をここに定めているという納得ずくめの快演で曲は閉じられているのだ。

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