ジュリーニの「田園」
私の大好きな名盤・その2
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」
指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ、演奏:ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団、録音:1979年11月
中学生の時に2番目の兄が結婚した。その際に譲り受けたレコード2枚のうちの1枚がヨッフム指揮ベルリン・フィルのLP25インチ盤で、高校を卒業するまで定期テストが終了した日に解放された気持ちで聴くことを慣わしとしていた。曲想が喜ばしく、定期テストの鬱屈からの解放と自然の中へ解放されるような気分とが合致したのだと思う。「田園」は中学生のころから現在まで最も好きな曲の一つである。ヨッフム盤は第2楽章終わりの鳥の鳴き声のあとの静寂とかフィナーレ最後のオーボエに代表されるように、祈りに通じる静けさが大きな魅力だと思うが、曲全体の淡白な進行に何か物足りなさを感じていた。LPからCDにかけて、名盤と謳われているワルター盤やエーリッヒ・クライバー盤、セル盤、カイルベルト盤、フルトヴェングラー盤、クーベリック盤などを聴き継いだ。
そんななかでジュリーニ盤はテンポや楽器バランスに中庸を選んで祈りの魂を吹き込んだ奥深い境地が発露されている名盤だ。第1楽章展開部で繰り返される長いクレッシェンドは、田園に着いて心が自然の中に溶け込んでいくうれしさ愉しさに満ち溢れ、ひとの息遣いの温かさが感じられる。ワルター盤は華美すぎて人工的な匂いを感じる。クライバー盤はテンポが速すぎて喜ぶ心情がやかまし過ぎる。ジュリーニさんは自然にも曲にも敬虔な気持ちを持っておられたのだろう。提示部と再現部にあるちょっとしたフレーズの終わり方にも優しさが感じられ、頬ずりしたくなる気持ちを覚える。終結部のクレッシェンドではミレーの絵を連想するような自然に対する畏敬と感謝の気持ちが彷彿と湧き上がる感動的なところだが、ジュリーニさんは誇張なく自然体で歌い上げているなかに丁寧で真摯な姿勢を感じるのだ。
曲全体の弦楽器の厚み、第4楽章のティンパニとの掛け合いなど、管弦打楽器のバランスがいい。嵐が去っていきフルートの上昇音ののちクラリネット続いてホルンの経過句を経て第5楽章の主題に入っていくこの曲の最大の聴かせどころも、特に意識するようなことを避けて演奏しているが作者への敬意や思慕を感じるのだ。
前述の「ライン」と同じくまれにしか存在しない5楽章編成の交響曲が偶然にも大好きなのである。5番と7番という厳粛で強烈な勇ましい音楽のはざまで、こんなにやさしくて祈りを感じる曲を創ったベートーヴェンの幅の広さに奇跡を見る思いだ。