ブロムシュテット指揮 ベートーヴェン交響曲全集

私の大好きな名盤・その16
ベートーヴェン交響曲全集
ヘルベルト・プロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン 1975年~1980年録音

最近、ブロムシュテット指揮のベートーヴェン交響曲全集を買った。きっかけはNHKの音楽番組でNHK交響楽団を指揮したシューベルトの交響曲第8番「未完成」の演奏を聴き、その深い情感を湛えた演奏にいたく感動したからである。

日本の楽団を指揮した指揮者に対して、往々にして低い評価を下す傾向にある。多くの日本人に今でも取り付いている劣等意識があるように思える。優秀な演奏家を多く輩出して歴史を塗り替えてきたにもかかわらず、一般聴衆は自分の耳で判断できない傾向がある。

ブロムシュテットに関しては、私もその一人であった。しかし第5番「運命」を聴いたとき、その新鮮な始まりに瞠目した。ダダダダーンのダーンがクレッシェンドしている。微妙な変化であるが苦難に立ち向かう意思を感じ、はなはだ感動する出だしなのだ。他にもこの指揮者の英断がある。第3楽章はこれまで聴いた演奏はすべてA-B-Aの3部形式で2つ目のAは弱音に終始し第4楽章に突入する。第3楽章の弱音での繰り返しだけというのが、全曲を振り返った時に少々格調を欠く要因ではないかと私は思っていた。ブロムシュテットはA-B-A-B-Aで演奏している。2つ目のA-Bはほぼ反復して演奏している。十種類以上の指揮者の演奏を聴いたが誰もこんなことをしていない。作曲者の指示通りの演奏をしないことに異論を唱える人は多いだろうが、私はこの曲にどっしりとした安定感をもたらした英断だと思う。

終楽章の終結部に入る時の6回の最強音のあとピッコロが活躍するのだが、ブロムシュテットはそうせずに淡々と進むところは、私が先に推薦盤とした、ケンペ指揮をやはり推してしまうことにはなるのだが、両方の演奏を聴き比べる楽しみができた、というところだ。ケンペ盤の項で記したように大づかみな解釈に大きな隔たりはなく、ブロムシュテットの特徴の躍動するリズムや内声部の充実した演奏を聴かせ、双方に共通のドイツ音楽魂の厚みと誇りを感じる、名盤の双璧だ。

「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝」(アルテスパブリッシング社刊)によると、録音技師は管弦楽作品でソロの時は音量を大きめに全体合奏の際は小さめにするそうだが、ブロムシュテットはそれを嫌った。家庭で聴く場合、音量の操作をした方が快適に聞こえるというのが根拠らしい。例えばブラームスのヴァイオリン協奏曲の冒頭でオーボエのソロが大きく聞こえるのにフォルティシモの合奏になった途端くすんだ後退したような響きに何故なるんだろうと、私は以前から不満だったが、この本で合点したのである。ブロムシュテットの演奏は大音量で聴けば コンサートホールに居るような臨場感を味わえる。

ベートーヴェン交響曲全集の中で特に推薦したい曲は、第2番ニ長調op36、第4番変ロ長調op60、第8番ヘ長調op93だ。ブロムシュテットの指揮は正確なリズムと強弱のはっきりした対比が特徴だ。作曲者に対して誠実で、楽譜から逸脱する解釈を嫌うので明快になる分 肯定的に響き明るく聞こえる。最強音で演奏する場面は誇張ではなく楽譜が求めている結果なのだ。気取りとか効果狙いとかが無いから表面的に心を奪われたい向きには地味に聞こえるのかもしれない。例えば2番の第1楽章の推進力は颯爽としていて気持ちがいい。4番の第2楽章は宇宙的は夢が汚れなく聴こえる。8番は7番に比肩するリズムの楽しさにあふれ小細工の無い清々しさだ。特にティンパニ、ホルン、木管奏者の響きは聴きどころだ。

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